新年あけましておめでとうございます。
皆さん、新年明けましておめでとうございます。
いよいよ2024年が始まりました。まずはおめでとうございます。
今年の年越しは例年と比べて雪が少なく、朝の雪かきをしなくていいだけでも、幸運です。
ただ、雪が少ない分、2023年の12月中にスキーに行くことを諦めました。2024年の1月中に、ある程度雪が積もったら、せめて1回くらいはスキーに行きたいです。
皆さんは、今年の予定や、決意を立てましたか?カンゲキの「スキーにせめて1回くらい行く」というのは、決意じゃないですよ。軽い気持ちです。
元旦に決意を立てる。
元旦に決意を立てるという習慣は、日本の古い風習に由来しています。日本では、元旦は年神様が家にやってくると考えられていました。年神様は一年の福をもたらす神様であり、人々の健康や幸福をつかさどります。
そのため、元旦には年神様に感謝やお祈りをするとともに、一年の目標や計画を立てることが大切だとされました。
この風習は、江戸時代にも毛利元就が言ったとされる「一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり、一日の計は鶏鳴にあり」という言葉にも表れています。これは、物事を始めるには最初にしっかりと計画を立てることが大事であるという意味です。
また、元旦には初日の出を拝むという習慣もあります。これは、新しい年の始まりを神聖なものとして尊ぶという日本の古来の信仰に基づいています。
初日の出を拝むことで、一年の無病息災や幸運を願うことができます。
元旦に決意を立てるという習慣は、日本の歴史や文化に深く根付いたものです。新しい年を迎えるにあたって、自分の目標や夢を明確にすることは、前向きな気持ちになることにもつながります。
元旦の年神様。
今の人たち、カンゲキを含めた現代人は、年神様の存在を信じているのでしょうか。
カンゲキ、あまり、神様とか宗教的なものはよくわかりません。皆さんに、「神様を信じなさい」みたいな信仰の押し付けをするつもりは全くありません。安心してください。
カンゲキが子供のころ、実家では大晦日に神棚と仏壇に料理が乗ったお膳をお供えしていました。
一番先に家長の父が、そしてカンゲキの兄弟が、兄から順番に拝んでいきました。
料理はそれぞれ別々の器に盛られて、煮物や焼き魚、天ぷら、茶わん蒸し、普段食べないナマコの酢の物なんかもついてました。その料理は、大晦日はお供えするだけで、翌日の元旦に神棚、仏壇を拝んでから頂いていました。
年越しに特別な料理をこしらえて、拝み、翌日に頂くという行為は、子供のカンゲキにとっても、神様、仏様(ご先祖様)は、とても大事なものであることを学ばせる行為でありました。
まとめ。
でも、いつしか、カンゲキの両親は年をとり、お供えするお膳も料理の品数が少なくなっていき、父が他界してからは、お膳自体作らなくなりました。
年越しの時期になると、そんな子供のころの年越しの行為を思い出してしまいます。お膳自体は無くても、実家では母が煮物や焼き魚、天ぷらなどを多めに作ってくれているので、年越しにはそれを食べて年越しを迎えています。・・・さすがにナマコはなかったでした。
カンゲキが大人になり、隣町に家を建てましたが、カンゲキの家には神棚も仏壇もありません。
そして、カンゲキの子供は神様、仏様にお供えするお膳のことは全く知りません。でも、実家の年越し料理の天ぷらを、おいしいおいしいと食べています。まあ、時代が変わったのかな。でもそれでもいいかと思っています。
カンゲキが子供のころ、何もわからずに、神様、仏様を拝んでお膳をお供えしていたことと、それさえ知らないカンゲキの子供。何も知らないことに変わりはありません。
誰が良いわけでも悪いわけでもありません。みんな笑顔ならそれが一番!
カンゲキの決意は「みんなを笑顔にしたい」です。
まずは、なにから始めよう・・・。まあ、おいおいちょっとづつ。でもしっかり計画は立てないと。
カンゲキの子供には、えびの天ぷらばかり食べないように、煮物も食べるように注意しようと思ってます。
元旦に感激のお話しでした。ありがとうございました。
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